“世界から注目される日本庭園のわざと心”セミナーレポート

E&Gアカデミー創立20周年記念イベント”今、世界から注目される日本庭園の「わざと心」をひもとく”のセミナーレポートをお届けします。登壇者は京都の老舗造園会社・植彌加藤造園株式会社の8代目社長、加藤友規氏。世界中から日本庭園の作庭オファーが舞い込んでいる、植彌加藤造園の加藤社長が語る「日本庭園のわざと心」とは…?


伝統と革新について
加藤氏は講演中に「不易流行」という言葉で表現されていました。不易=変えてはならない伝統、流行=時流を提供すること。「独創的なものが伝統になり、その伝統が新たな創造性を刺激する」。先人の行いをただひたすら真似事のように踏襲することが「伝統を守る」ということではないこと、伝統を紡いでいくには先人たちが作り上げた創造性を踏まえながらその時代に応じた創造性をもたらすべきなのだ、とお話しされていました。例えば植彌加藤造園が管理を手掛けている南禅寺など文化財に関しては昔ながらの伝統(不易)を守りますが、京都の宿・ほしのやでは伝統を踏まえた日本庭園を作庭しつつも革新的で創造豊かな庭となっています。枯山水は座視鑑賞式が常とされていますが、歩いてみる枯山水にしたり、景石を座れるように削ったり、延段にモダンな柄を施してみたり。伝統を踏襲して新たな創造性で作庭されたこの庭園もいずれは「伝統」となっていくのです。「伝統」とは「革新」の積み上げである、と加藤氏はお話しされました。

 

作庭四分、維持管理六分
庭園は完成してそれで終わりではない。「維持管理」というと現状維持にように思いがちだがそうではなく庭をはぐくみ、成長させていく育成管理こそが本懐。ただ管理をしているとマンネリ化してしまい庭が完成した時のような充足感はないかもしれない、それでも愛情をそそいで庭の成長のよろこびを感じることがなによりも大事なのだ、と。

 

本物の庭師になるには何年かかるか
加藤氏は参加者の数名に質問しました。「本物の庭師になるには何年かかるかと思いますか?」と。人によって回答は様々でしたが、これは正解がある質問ではありません。ただ、加藤氏は「本物の庭師になるには200年かかるのではないか」と。深淵なる生きた総合芸術である庭園。日本庭園の歴史は何百年と、歴史の長いものです。せめてその長さと同じ体験、季節、時間、天気によって変化する表情をとらえてはじめて「本物の庭師たるのかも」とお話されていました。ちょっとやそっとではわからない、それほど奥が深いのが庭師の世界なのだと改めて感じ入りました。

 

庭師の暗黙知と形式知の世界
庭師は口伝の世界。口伝とは奥義や秘伝を口頭で伝えること。感性や美意識がものをいう庭師の世界では特にマニュアル化したり形式化して物事を伝えるということは少なく、全て口伝で伝えるのだそう。理論だててマニュアル化できる世界ではない。だけど、感性や美意識でなりたつ暗黙知の世界だけではなく、ある程度は何が必要でどこを理解すべきなのかを理論だてマニュアル化、形式知の世界にシフトする努力もいるのだと思う、と加藤氏。

 

自然が織りなす光景
平安時代に橘俊綱が書いたとされる「作庭記」に記載されている一文を紹介されていました。”人の立てたる石は生得の山水に勝るべからず”。人の作ったものなど本当の自然にはかなうわけない、という意味です。庭師はそのことを常に心において、自然が織りなす光景には到底かなわないけれど、それを最大限に映す努力を惜しんではならないとお話しされていました。自然への敬意なしに日本庭園は語れないのでしょう。

 

無作為の作意
無作為の作為とは「作為がないという風に見せようとする意志」のこと。南禅寺には滝がある日本庭園があります。その滝の前には優しく自然に紅葉がかかっています。これは「視線裁き」と呼ばれるテクニック。滝が丸見えにならないようにし、紅葉ごしに滝を眺めさせる意図がありますが、あくまで自然にそうなっている感じを味わってもらうようにしています。景色をはぐくんでいく中で人工的に見えないようにあくまで自然的にみえるように味わいや奥ゆかしさをだすようなモノづくりをしています、と加藤氏。


その他にも色々と面白いお話しを聞くことができましたが、ポイントを抜粋してまとめてみました。独創的な世界観や精神性をもち、伝統を重んじながらも創造性を追求しているからこそ、日本庭園は今世界中から注目されているのでしょう!